2001年02月の日記

■2001/02/28 (水) へなへな

今日はテスト。
「やってしまったぁ。」
後悔先に立たず。
環境問題なんて嫌いだ。

もう寝る。

■2001/02/27 (火) なかよし

明日はテスト。
猫の手も借りたいのに、
タヒチとの会話がはずまない。
悲しい。

がんばる。

■2001/02/26 (月) 博打

先日、日本に帰った友人と電話で話をした。

その友人は、ここテキサスで作った日本人の友人と、日本に戻ってからは昔のような付き合いが出来ない、と言っていた。おそらく、ここにいる間は、限られた人の中から、友人というものを自分を守るために作らなければならず、どうしてもこの人が自分の人生に必要だ、という人を選んだわけではないのだ、という結論にふたりで達した。恋愛関係もそう。何組のカップルが帰国後、もしくは片方の帰国によって壊れたことか。

それは、良い悪いの問題ではないとは思う。たた僕の性格ではなかなかそういう具合にはいかない。本当にこの人を友人として恋人として、大事に出来るのか、それを考えてしまうし、もしそうなった場合僕から裏切ることはしたくない。とはいっても人間の心など移ろいやすいものだから、非常に大変な問題だ。そんな問題、死ぬまで解決できそうにない。くっついて離れて、というのが案外気楽でいいのかもしれない。

気楽というよりも、これほど心の移ろいに正直な生き方もなかろう。一回ですべてを解決しようとする僕が、単に横着なのか。欲張りなのか。まるでメインレース一本で、大穴を狙っている博打打のようだ。

■2001/02/25 (日) 6KBのメッセージ

女性時報などというメールが送られてきた。意味が通じにくい単語の列記、がなにか背筋が寒くなる内容。一部抜粋する。

●総務省公害等調整委員会委員 平野治生氏
天皇陛下、地球環境、循環型社会、焦眉の急、
世界各国から注目、日本、伝統的に自然を大切にする国、産業廃棄物、
問題。
●クボタ人権啓発室長 小頭芳明氏
小頭が車、運転してこの空気を天皇陛下吸って、殺そう、大逆事件みた
いなこと。
●伊藤忠石油開発社長 山崎昌男氏
天皇皇后両陛下、世界注目、国家の座標軸、方向性、日本少資源、
胆に銘ずべき、日・韓関係スムーズ、超越した理念と創造を、日本流、
負けて勝つ。

こんなのが並んでいる。一体全体僕は何をしたのだろう。昔バルコニーにてAさんとともに、天皇皇后両陛下微笑みながら手を振られ国民にお応えになる、という形態模写をしたのがいけなかったのか。思わず、すいません、と言ってしまいそうだ。僕が出雲の血をひいているのを、彼らは知っているのだろうか。喧嘩を売られたのだろうか。意味もなく頭に浮かぶ、「人類みな兄弟」の標語。どうしよう。

■2001/02/24 (土) 手酌して飲む酒

車の上に看板が落下した。さしたる傷はない。
先生のご主人に保険などの交渉をお願いすることにした。

このことによって落ち込んだということはない。ただ、これがきっかけになって、がまんしていた、ふたをかぶせていたそのもののふたが飛んでしまったようだ。こんちきしょ、こんちきしょ、とつぶやきながら運転した。恨む人を作れればよいが、それもなくただただ自分の馬鹿さ加減を恨むばかり。

   君ならで誰にか見せむ梅の花 
      色をも香をも知る人ぞ知る

今晩は飲もう。昨日買ったラッキョウが肴になるだろう。

■2001/02/23 (金) 大人になれば

近頃、歳の近い友人たちと話していて、みんないまだに悩みをかかえていることを知らされた。

子供のころ、十代のころ、大人になったらこんな悩みなどなくなる、悩みのない生活のようなものを想像していたが、今になってもちっとも悩みなどなくならない。

きっと大人になるということは、悩んでいないふりが出来るようになることなのかもしれない。大人になるのも大変だ。

■2001/02/22 (木) 吾亦紅の咲く秋を待つ

北海道大学の玉城教授、同行されている同大学小橋博士、クマベ研究所の小林さんとお会いする。卒業したら北海道大学に来る
こともひとつのオプションとして考えたらと言われ、大変ありがたい気持でお話を伺った。社会学出身の人が玉城教授の研究室には居られないようで、国際保健衛生から社会学のプログラムに変更したら、と言われた。残念ながら、それは大学院を移らなければならないので無理だと思うが、夏休みにでももう一度昔のテキストを読み返してみようと思った次第。

どうするか決めるのは、あと一年後くらいでよいはずだが(MPH修了まであと1年半ぐらいあるはず)、そのとき一体全体僕はどんな気持で毎日を暮らしているのか。それによってもどうするか、だいぶ違ってくるような気がする。

ここのところ、センチメンタルに浸る自分を客観視できるくらいの余裕はでてきた。突然だが最近投げやりとは違うのだが、長生きしたいと思わない。もし、明日事故で死ぬのならそれはそれでよし、という心境。もちろんいざそのような場に遭遇すると、生への執着があらわになるのかもしれないのだが。それにこれは死への想像力の欠如なのかもしれない。おそらく人が持っているであろう死への本能的な恐怖というものを、なにかが覆い隠しているだけなのだろう。決して悟りを開いたと喧伝して宗教を興すつもりではない。

執着心の強い人間だから、生への執着も強いはずだ、と勝手に思っていたのだが。最近見かけない吾亦紅を、今でも忘れられないし、まだまだ執着している。

■2001/02/21 (水) ストーキングをする人

先週のUS&World Report誌のVital Statisitcsというコーナーに、ストーキングに関するデータが掲載されていた。それによると13.1%の女子大学生(発生率は1000人につき156人)がストーキング行為をされた経験があるそうだ。そのうちの77.7%が電話、48%あまりが待ち伏せ、などなど。

このデーターを否定するつもりはないのだけれども、つねに頭の片隅に入れておかなければならばいであろうことは、ストーキング行為って何だということ。つまり言いたくはないが、思い込みというのもあるだろう。この行為は被害者の被害意識のみの上に成り立っている。万が一たとえば加害者(の立場)が手を出したり、住居に侵入してきた場合はほかの犯罪が被害者(の立場)の届けなしに成立するのだから、それはストーキングとして摘発はされないだろう。この辺りのデータの取り方もわからないから、あまりどうのこうの言うのも気が引けるのだが。もちらん、被害者意識どころではないような行為があることも認める。(もしかしてストーキング行為というのは、被害者の告発なしに犯罪として成り立つのか?)

しかしそれでも常に考えてしまうことは、きっとこの加害者の立場にある人たちっていうのは昔は純情と呼ばれた人たちなんだろうな、ということ。今の世の中純情という言葉が抵抗あるのなら、馬鹿が適当か。愛すべき馬鹿がいつのまにか、相対的にこういう立場になってしまったのは、社会が世知辛くなったせいか、それとも馬鹿が本当の馬鹿になってしまったせいか。よくわからない。

■2001/02/20 (火) 好きと愛してる

愛してる、という言葉があまり好きではない。というようりも、どう使っていいのか分からないといったほうが正確だろう。どう使っていいのか分からないのだから、どうしたって使えばおかしなことになる。好きです、だけで十分ではないかというのが僕の立場。愛してるということばは、昔は男から女に対してのみしか用いられなかったらしいが、それをさておいても何か語感が耳になじまないとでも言おうか。僕はあなたのことを愛している、なんていうのよりは、僕はあなたのことが好きです、の方が耳に馴染む。そうは言っても相手の琴線に触れなければどうしようもないわけなんだが。

さらに告白するのにどうも標準語よりも方言のほうがいいのでは、と思ったりもする。「好きです」と「好いとぉ」では、なにか響くものが違う。地方出身者が、東京でせっせと恋人を作るのにはこの辺りに秘密があるのでは、と東京出身者(江戸っ子ではない)は僻むのであった。方言を勉強しておけばよかった。人生いつでも勉強である。これからがんばろう。

■2001/02/19 (月) 今日無事

暖房のスイッチを冷房に切り替えた。

昨日、ヒューストンにある古本屋(日本語の本を扱っている)にて山口瞳の本をたくさん見つけ、買い占めてきた。彼の本は、Amazon.co.jpなどで調べると取り扱いできないもしくは取り寄せなど、なかなか日本でも手に入りにくいようなので、これは見つけもの。今日は大学が休みであり、それらの本の頁をめくりながらお茶を飲み、のんびりと過ごした。

今週からすこし調子をあげていかないと。

■2001/02/18 (日) 最後の科白

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
   (勧酒 干武陵 井伏鱒二訳)

死ぬときには、こう笑顔で言って旅発ちたいものです。
「サヨナラ」を言うためには、一所懸命に人生に立ち向かわねばなりません。

■2001/02/17 (土) ふたりには雨などいらない

「In other words please be true.
 In other words I love you. 」(Fly Me to the Moon)

友人が恋人を連れてきた。ふたりとも大変かわいらしく、見ていると心が洗われるよう。その恋人もまた以前より知っているのだが、ふたりとも一生懸命生きているなぁと思っていたゆえ、そんなふたりが出会って大変うれしい。人生何が起こるか分からない。だからおもしろいのだが、このふたりを見ていると「それを言っちゃあおしまいよ」てなもんで、ふたりが納得できる道を歩いて欲しいと心から願う。

彼らと酒場に行きギムレットをたのんだ。
今宵の酒はじつにいい酒だ。星のきれいな夜のこと。

■2001/02/16 (金) 愛さない守らない

「愛の対義語は憎しみではない。無関心である。」(マザー・テレサ)

自分が何をしたいのか分からない。
なんのためにこんなことをしているのだろう。
人に良かれと思ってやっていることも、結局は自分のため。

問題の本質を見つけることは出来るのだろうか。
が、その本質を見つけたとき、死ぬことが怖くなるのだろう。
それはきっと、守るものを見つけたときだから。

■2001/02/15 (木) 健康とは何なのか

「地下鉄の電車を待っている
センチメンタルにひたったふりして」(ふきのとう 初夏)

車のタイヤのアライメント調整をしてもらった。修理工場で待っていると、もうひとり客がいた。40過ぎに見える彼女はよくじゃべる。そして彼女に「私はBipolar Disorder(躁鬱病)っていう病気なのよ。知ってる?神経の病気。」と言った。。

彼女が昔看護婦だったこと、僕が公衆衛生学の学生ということで、話したのかもしれないけれども、そこまでオープンに語る話題なのかな、とそのときはすこし不思議に感じた。Bipolar Disorderが何か正しく理解していなかったので、帰ってきてインターネットで調べてみた。どうやら、うつ病と躁鬱病というのはだいぶ違うようだ。症状は似ているが(うつの時)、原因は違う。うつ病はストレスから、躁鬱病は神経系の障害らしい。まだまだいろいろ説明されていたが、とりあえずその違いだけでもきちんと知ることが出来てよかったと思う。彼女が語ったのは躁状態であったからかもしれないし、この国の精神、神経病に対する寛容さというものかもしれないが、兎に角きっかけを作ってくれた彼女に感謝したい。

「私の病気のせいで、患者やほかの看護婦に迷惑をかけたくなかったから、やめたの。」この言葉を聞いて僕は切なくなったが、また同時にそう決断した彼女のなかにプロ意識を見た気もし、うれしくも思った。

■2001/02/14 (水) 風景

彼女と彼がいる風景、僕はそれを眺めているのが好きだった。
時は過ぎ去り、いつしかふたりは違うところを歩いていた。

僕はこれから、何を眺めてゆけばいいのだろう。

■2001/02/13 (火) 男女比はほぼ1対1なんですって、川崎さん

みなさんにとって、バレンタインが素敵な日でありますように。
なんて書いてあるのを見ると、けっ、ただ一人の幸せを願っておかんかい、と思ってしまうバレンタイン前夜、みんなどうなのさ。

とまあ、ここのところ荒れているわけですが、ヒューストンはまた温かくなってきました。ただいま22度あります。三寒四温ですな。この気温の激しい変動に、風邪引きがあちらこちら、きみきみこっちに来るなと思いながらも、今日も学校生活を送ってきました。

そんなせいか風邪の兆候もあり、また昨晩はあまり寝ていないので(といっても5時間ぐらいは寝てるはず)、今晩はうどんを食べて、風呂に入って寝ます。と書くと、寝れなくなるんだよな。合法ドラッグ(一般的には風邪薬と呼ばれているもの)でも飲んで無理にでも寝るさ。寝る。

■2001/02/12 (月) ケミフォビア

疲れた。やはり「環境と健康」のクラスは疲れる。今日のテーマは地球温暖化。興味のあるトピックではあったが、化学式が出てくるだけで、もうげんなり。

昨日の日記で、あんな噂話などなんで書いたのか、と少々後悔している。噂に過ぎないのに、ああして書いてしまったことで、意味もなく人を切りつけていないかと不安。タブロイド紙でもあるまいに。まるで彼女の愚痴を友達にこぼして、その友達の彼女へ対する評価を下げてしまったような、そんなイヤな気持。

眠くなってきたので、もう布団にもぐろう。おやすみなさい。
おっと最後に一言。僕は「思いやりのある保守主義者」ですよ。いや、違うかな。そういえばこの前、「毛沢東主義者宣言」をしたんだっけ。じゃあまとめて、「毛沢東主義に理解のある思いやりある保守主義者」宣言をしよう。

■2001/02/11 (日) 未来への希望をこめての苦言

昔、Japan Clubの会長をしていたときに、ある人より彼の知り合いの日本人グループ(研究者とその家族ら)がFarewell Partyを開きたくMSC(スチューデントセンター)の一室を使いたいのだが、Japan Clubのような大学認知団体から借りてもらえると無料で使えるので、そのように取り計らってもらえないかと頼まれた。その彼には多少なりとも世話になったのでそのように手続きをしたが、いまでも思い出すたびに腹が立つ。一体全体どういうつもりなのだ、と。自分の都合のみでJapan Clubを利用するな。それなら自分で頭下げに来い。だいたいそんなことで金をケチるな、金稼いでいるくせに。全くアメリカに来ていったい何を見ていたのか。下の有名な文句を暗誦でもしておけ。

Ask not what your country can do for you
but what you can do for your counrty.

最近の日本では教育改革が騒がれているようだが、大人がこれじゃあ何をしてみても無意味。汚職というものは志なき人、時に起こるのでは。志なき者に金など扱わせるな。あんな大人の行動が幾度となくニュースに流され、子供たちをまっとうに教育しようなんていうのは、虫が良すぎる話というものだろう。子供はまさに社会の鏡。

ここで個人的な話に戻るが、僕がかかわってきた団体でも、最近なにか今後の金の使い方をめぐってよからぬ噂話を聞いた。噂話でもあり冗談でもある可能性があるので名前を出さぬが、これはもしかして、彼らの前に役職をつとめていた僕の行動がまずかったのか、と反省している。親の背を見て子は育つ。おそらく僕にそのような傾向があったのだろう。比喩として環境問題をあげておく。この問題で考えなくてはいけないことは、次世代の人々にどのような環境を手渡すかということ。僕らの世代だけを考えるのなら、環境などどうなろうとも生活にはさしたる被害をもたらさない。僕らが死んだ後の環境をも考えなくてはならないのが、環境問題。その辺をよく考えて欲しい。この噂がほんの冗談であることを切に願う。(この段落全く意味がわからない、という人も多いと思う。ごめん。)

鏡で自分の顔を見た。品が見られない。もう少ししたら、顔に責任を持たねばならぬ(と思っている)年齢になるのに。もう15年若ければ、社会が悪いと、学校の窓を割れたのに。そんな僕もあなたも社会の一員。

■2001/02/10 (土) 僕は嘘をついた

誰かが嘘をついた、と疑う。

疑われた方は、不愉快になる。
疑ったほうは、疑心暗鬼に陥る。
そして彼は、それは嘘ではない、と結論付けるか、もしくは
嘘だ、と決め付けるか。
が、疑われたほうもまた、相手を疑う。そして同じことを繰り返す。

その二者の間になにが生まれるのか、ただ壊れるだけなのか。
希望というものの存在を願うことが、今の僕に出来る数少ないこと。

■2001/02/09 (金) 君が嘘をついた

嘘がいいか悪いか、昔から世界中でいろいろな人が語ってきた。多くの人がついてもよいある種の嘘がある、と結論付けている。

嘘をつく女性、たいてい悲しいが美しい。が、嘘をつかす男性、それはたいてい醜い。その逆もまたおそらく真。嘘をつかすのは、悲しくも醜い。それは善悪の問題ではない。

気づかなくとも、嘘をつかしている時というのはある。僕は人に嘘をつかさせたようだ。

■2001/02/08 (木) 時事ネタ

朝、目がさめるとすでに9時。あわてて学校へ。

このクラス人口学のクラスなのだが、しょっちゅう話は脱線し、たいてい2時間授業のうち30分は、先生が熱く時事ネタを語る。そのうちのいくつか。

ニューヨーク市では雇用対策として、「電話による占い師」養成講座を設けていたそうだ。さすがに今はなくなったそうだが。

ユタ州とノースキャロライナ州(だと思ったけど)が下院議員の割り当てをめぐって裁判をしたそうだ。ユタ州の主張は国勢調査(による人口数によって割り当てが決まる)は海外にいるモルモン教の宣教活動者を数えていない、ということ。だからノースキャロライナより実際は多いのだから、議席をよこせと。国勢調査は海外にいる人を数えないというのが原則ですから、結局ユタは負けたのですが、なんかすごい争いですね。ユタ州なんか頑固です。

今、日本のニュースを見ているのですが、女の子がリンチされ殺されたそうですね。嫌ですね。男性は泥にまみれて死んでも、それもまた美学などと言えますが、女性にはやすらかな顔で死んで欲しいです。(殺し方の話じゃないですよ、死に方です。)偏見ですが。

今晩「Traffic」でも見に行こうかな。ドラッグ戦争の話。

そして見てきました。現在夜7時半。木曜日夕方の回はとても空いてて、快適でした。映画のほうですが、確かイギリス製作のはずですが、いわゆるハリウッド映画とは違います。映像なども凝っています。でも、見てると何か落ち込むというか、神に祈りたくなります。最後もなにかすっきりしません。でもこんなに心が乱れるということは、ドラッグの問題を世に訴える、という監督のねらいは成功しているということか。人にいいよと勧められる映画ではないけれども、見てほしい映画です。

■2001/02/07 (水) 刺々しい

タヒチに横目で人を見るな、と説教。3ポイントアップ。

何かいらいらする。

辺辞を頼まれたメールを受け取ったのだが、短歌(自作ではないです)で応えてしてしまった、、、こんな気分の日に文章を作ると、かなり刺々しくなりそうだったので。(今日の日記も解け刺しかったので半分削除しました。)言葉遊びをしてみたのですが、理解してもらえるでしょうかねぇ。そんなの送りつけられたら不気味かもしれませんねぇ、言霊でもこもっているようで。

まったく気障たらしくいやな輩ですな、ごめんなさい。でもこれを目指していたんだっけ。

■2001/02/06 (火) 少年

タヒチの手はクリーニング屋の匂いがする。足はしないのに、、、

なぜか「TEEN」とかいう雑誌が送られてきた。タイトルどおり、ティーンエージャー向けの雑誌。一体全体なぜだ、、、この他にも「Men's Journal」も送られてくるのだが、まさにいつまでたっても少年の心を忘れない男、というところか。

昼寝をしたのに、もう眠い。最近やたら眠い。まもなく天寿を全うするのか。

■2001/02/05 (月) 化学記号

妙に疲れた。

今日は学校に1時過ぎに行きクラスを1つ、そのあとグループプロジェクトのペーパーをあげミーティング。それだけなのに、なんなんだこの疲れは、、、8時前なのにもう眠い。

おそらく、一クラスである「環境と健康」がかなりつらかったせい。今日のトピックは屋外空気汚染。いかんせん自然科学のバックグランドがほとんどないもんだから、化学記号でSO4など書かれてもなにがなんだか。それだけで拒否反応が、、、そういえばこんなことを勉強している人がいたっけな。尊敬します、ホントに。社会科学がやっぱりいいよぉ。

■2001/02/04 (日) 戯言

あー、楽になりたい。

でもね「さびしさ」とよばれるものの向こう側に、
おそらく真実があるのでは。
「さびしさ」に流されて、自分を欺いてはいけません。
(ひとり、無頼派だねなどと悦にいっているのですが)

そう信じて今週もがんばりましょう。

■2001/02/03 (土) 本懐

ガンなどの病気の発症で、その人の人生は大きく変わる。

公衆衛生学は、そのような病気および状態を可能な限り予防するために、社会を対象として対策を練る。個を守るために社会を守る、という考え。が、そのことを忘れてしまい、社会を守るために個の幸せを忘れてしまうことがないのか、社会のみに目が向いてしまう場合はないのか、そんなことを自分にもう一度問うてみた。

なにが起こるかわからない人生に対し最大限の防御を集団として出来るよう、僕はできる限りのことをしよう。無責任な同情はしないが、共に闘おう。それが僕なりの男子の本懐。

健康とは、肉体のみではなく精神的にも社会的にも良好な状態であることをいう。それはすべての人が享受する権利を有している。(WHO)

■2001/02/02 (金) 残酷

僕は残酷だと思う。なんのためにこんなことしたんだろう。こんなことしてるのだろう。どうしようもなく自己嫌悪に陥った。

■2001/02/01 (木) 人口

もう2月。人生の希望は見出せないが、生活の糧はこつこつとこなしている。
これは人口学のクラスの宿題。人口ピラミッドを制作。1999年日本のもので左より男性、女性、そして女性でスケールの違うもの。今月末には北海道大学の玉城教授にお会いする予定。
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